森永博志のオフィシャルサイト

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マシンガン・ケリーとの対話【1】

by Hiroshi Morinaga

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森永 : 原宿の〈キングコング〉は、ケリーの壁画ですよね。

ケリー :  最初はケンさんというイラストレーターが描いたんです。ケンさんは描き込むタイプで〈ツイストNO.1〉のときも、ケンさんはピエロを描いて、俺はモンローとかジェームズ・ディーンを描いた。ケンさんの絵はちょっとロキシーで時代的にはいいんでしょうが、ヤマちゃんの趣味ではなかったかも知れない。

森永 :  それで、〈キングコング〉のケンさんの壁画は『原宿ゴールドラッシュ』にかなりくわしく書いたけど、海辺の光景で、そこに黒人のメイドがいるような芸術的な世界ですね。ヤマちゃんとしても、その頃は店の前は東郷女子学院のお嬢さんたちの寮だったし、ちょっとハイソな原宿なんで、気取ってみたかったんでしょうね。

ケリー :  話、さかのぼるけど、ヤマちゃんとバンちゃんの最初の〈ジュンブライン〉もかなり気取ってたんだよ。壁もビニールのフトン張りで鋲打ちですよ。そこに食堂テーブルが適当に置いてあって。しかも、ふたりはアイビーなんで、すごくオシャレに見えた。

森永 :  六本木あたりだとあったんでしょうけど、新宿では異色だったんですね。 それが、突然、ケリーの壁画になるんですね。

ケリー : そうです。最初はオーナーがいて、ヤマちゃんたちは雇われで、自分たちが好きなようにはできなかったんだと思います。オーナーは一度も店には来てなかったですけど、ヤマちゃんはそういう礼儀みたいなことに気をつかうタイプですから。それで、好きなようにやるには、自分たちの店にしなければと、権利を買いとって〈怪人二十面相〉にしたんですね。

森永 :  雇われのままだったら、その後の〈クリームソーダ〉もなかったでしょうね。

ケリー : ですね。

森永 :  それで、大改造がはじまった?

ケリー : 壁のビニールを引っ剥がしてコンクリート剥き出しにして、真っ黒に塗って、俺はキッチンに入ってて、絵を描けるとヤマちゃんは知っていたので、描いてよと言われて、ウィルソン・ピケットを描いた。それがはじまりですね。

森永 :  壁に絵を描くという発想がすごい。ポスターでもよかったのに。

ケリー : 試しに描いた。一晩で描けるという、そのスピードがヤマちゃん、気に入ったんですね。あっ、これ、いける! って直感がきたんでしょうね。

森永 :  ヤマちゃんは言ってましたけど、ペンキなんで、溶解液のシンナーの匂いに惹かれて客が来た、と。あのころ新宿にはシンナーとボンドが蔓延してましたからね。

ケリー : 一晩で描いて、翌日オープンしたときには、ものすごくペンキくさくて、目が痛くなった。

森永   話、もどしましょう。それで、ケリーは〈面相〉をやめて、フジTVの大道具のバイトにもどるわけですね。

ケリー : そうです。ところが、〈面相〉に来ていた〈VAN〉の黒川さんが、俺の壁画を気に入ってくれていて、俺に仕事をくれたんです。

森永 :  どんな?

ケリー : 青山にあった〈VAN〉の宣伝部の社員のロッカーに各々のポートレイトを描いてくれと。

森永 :  それが仕事?

ケリー : そうです。あのころは遊び心をみんな持ってましたから。それで普通に似顔絵を描いても面白くないんで、6人いた宣伝部の社員のキャラを想像して、インディアンだったり、カウボーイだったり、海賊だったり、ポップに描いたわけです。

森永 :  フジのバイトしながら。

ケリー : ですね。東宝舞台の出向でフジに行ってました。俺としては将来は舞台美術家になりたいと思っていたので、テレビのセット制作も、これは頑張って爪たててやればものになるかなと。普通は絵は描かないんですけど、俺はセットに絵を描いてました。二階の窓から夕陽が見えるみたいな。

森永 :  で、〈VAN〉はどうなったんですか?

ケリー : そのころ〈VAN99ホール〉が開設し、そこの責任者であった山口さんがロッカーの絵を見て、ホールの舞台の書き割りを描いてくれないかと言われましてね。

森永 :  一番やりたい仕事じゃないですか?

ケリー : そうです。でも、やりたいけど、フジTVの仕事があって時間を作れない。そこで、このチャンスを逃すまいと、会社を三日休むとやばいんで、社員にしてくれと言ったら、ヘッドは元東映にいて、VANの宣伝部のヘッドになった人なんで、度量が広いんです。一発で入れてくれました。〈VAN〉は、部長をヘッドと呼び、役員はチーフと呼んでました。内部組織までアメリカン。そのくらいカッコつけてました。

森永 :  それはすごいですね。ヤマちゃんだって、はじめ、〈三峰〉に入る前は〈VAN〉に入社したかったけど、ペーパーの試験が英語だったんで諦めたという。
〈VAN〉では何をやってたんですか?

ケリー : 俺が入ったのは1973年ですね。そのころホールの社員も7人入ってきて、みんな素人同然。俺はフジTVの仕事もしていたし、ヤマちゃんの店でキッチンもやり、壁画も描いていたし、それなりに経験積んでたから、みんなに、書き割りはこうするんだとガンガン教えてた。主な仕事はホールの企画運営ですね。出演交渉も自分でやる。ポスターもチラシも自分で描く。山口はるみさんにつかこうへい劇団の『ストリッパー物語』のポスターたのんだり。二周年のときに99にちなんで、坂本九さんを呼ぼうよと話したら、シャレにのってくれて出演してくれた。あとブレイク前のダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドも。つかこうへいは全然客が入らなかった。佐藤B作の東京ボードビル・ショーも。

森永 :  99というのは入場料が?

ケリー : そうです。99円。制作費はすべてこっち持ちです。

森永 :  それでは商売になんない。

ケリー : それは石津さんの考えで、社会還元の一環だった。でも、〈VAN〉も殿様商売のつけが回ってきて、あっという間に倒産するんですね。だって、あれですよ。『傷だらけの天使』の衣装、最初、〈VAN〉に話しきたんですよ。これをフットボールやってた宣伝部の社員が「うちには不良に着せる服はない」って、断っちゃったんです。それで〈BIGI〉がやることになって、大当たりした。

森永 :  バカだよな。

ケリー : バカですね。

森永 :  それで、ヤマちゃんとは、どんな、感じで。

ケリー:   〈面相〉やめてからまったく会ってないし、電話もない。でも、〈VAN〉の宣伝部に俺が入社したと知って、会社に突然来たんですよ。受付から「山崎さんが、お見えです」と連絡がきて、「えーっ!」って飛んでったんです。そしたらヴィヴィアンとヤマちゃんがいて、ホールで話したんです。

森永 :  そこで、〈キングコング〉の話しがでた。

ケリー : そうです。描いてくれないかと。それで関係が復縁したんですね。

森永 :  なるほど、察するに、多分、ヴィヴィアンが〈キングコング〉の壁画もケリーがいいと言ったんですよ。〈面相〉でケリーの壁画を見て、ロンドンはロンドン・ポップでフィフティースの感覚が弾けていたから、そのカルチャーとリンクしたんですよ。それで、ヴィヴィアンが〈キングコング〉もケリーに描かせろって言って、ヤマちゃんも、「そうか」とケリーをわざわざ訪ねて来た。

ケリー :  でも、ヤマちゃんは、そんなことひとことも言わなかった。余計なことは言わないですよ。

森永 :  でも、まったく連絡もないところにヴィヴィアンを連れ現れたというのは、多分、ヴィヴィアンとケリーのことを話してて、ヴィヴィアンがいますぐケリーのとこに行こうと言ったんですよ。それで、〈キングコング〉には何を描いたんですか?

ケリー : 入り口にキングコングとスーパーマンです。店内は地下なんで空が抜けてる絵がいいねって、窓から見えるモータープール。それも羽根木にあったヤマちゃんの自宅に行って、正月から7日間ぐらいかけてベニアに描いて、壁に打ち込むっていうやり方で。

森永 :  それからですよね。〈キングコング〉が当たったのは?

ケリー : そうなりますね。

森永 :  やっぱり、ケリーの絵はヤマちゃんの店に絶対欠かせない演出だったんですよ。最初にケリーに描かせたヤマちゃんがすごいけど。【続く】

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つづく…