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早朝5時、突発的に、猪苗代へと車を走らせた。ドライバーはT。

車内には、エルビスが流れている。まだ、眠りにつく都心を走り抜け、走り慣れた東北道を北に向かったが、途中、道を誤り、常磐道にはいってしまった。常磐道は初めてだ。行けども行けども深い森だ。まだ、人跡未踏的獣王国のような野生の精気に満ちた森林だ。対向車もほとんどない。道は閑散としている。サービスエリアもない。つまり、トイレもない。こんな高速が日本にあったのか? 朝からショックに見舞われる。

インターはあるが、近くに町を見ることもない。

福島原発の近くを走行しているのだろうが、見ることはできない。

車の速度は制限速度目一杯で、一度も速度を落とすことなく走行しつづける。

車内の音楽はブラサキにかわっている。

車と音楽の速度がシンクロする。と、疾走感は増すと思えるが、実際は疾走感は消える。いっさい、何ら、運転に使う神経が心身の負荷にならないとTは驚いている。すでに、2時間、休みなく疾走し続けている。緊張感もない。

再び、東北道と合流。もう、目的地は迫っている。常磐熱海にでて、猪苗代湖畔を走り、8時には到着した。

3時間を要したが、あっというまの、ドライブ、微々たる疲労もない。昨夜は一睡もしていないというのに。


書記長宅を訪ねたが、不在。携帯は普段から通じない。二日後にかかってきたりする。夫人はまたサンディエゴに行くといっていたが、もう、旅立ったのか。

畑に仕事に出ているかなと思い、向かった。

書記長は、露地と温室の二箇所、畑を持つ。

町からだと温室がはじめにある。やはり、ふたりはいた。

僕の、突然の出現に驚いている。


その後、砂鉄は?

砲丸製造へと邁進しているうちに、猪苗代湖畔で思わぬ発見を得ることになった。

砂鉄には雪を溶かす力がある!

しかし、それは、砂鉄の成分にその力があるのか、地熱が伝わってくるからなのかはわからない。

そこまで、今年の雪では調査できなかった。

しかし、それ以外の、さらなる発見があり、書記長は、その実験を温室内で行い、ある恐るべき結果を得たが、まだ、世に公表しない方がいいと、磐梯山山麓の田園地帯で、朝9時10分に対話した。レイニーシーズンがせまる東北は、少し雨がやんだり降ったり。

「あとで、別荘に行きましょう」と、書記長が奇妙なことを口にする。

「建てたんです、畑に」と、書記長夫人のフォローが入るが、要領を得ない。ま、行ってみれば、わかるだろう。

30分後、畑にいた。

「別荘」は、掘っ建て小屋だった。地元の方の協力を得て、二日間で建てた。建材費、17万円。安いのか高いのか不明。

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造りは、翌日、写メールの返信で届いたのぶりんの印象、「杉本博司さんの茶室みたいですね」ともいえるシンプルなスタイルだった。

杉本さんのそれが実際どんなものか、この目で見たわけではないので、なんともいえないが、のぶりんから送られてきた写真を見る限りは、なんとなく似ている。

用途は茶室だが、造りに古風はゼロ。現代的な建材を使用している。でも、杉本さんのは、茶室は作品なのだろう。

「別荘」の第一印象は、それは江戸に限られたものなのか、祭りのときの「仮小屋」だ。仮小屋は、竹や丸太、あるいは鉄パイプで組み上げた構造に、葦簀をはる。

「別荘」は、鉄パイプで組み上げた構造に、波形のビニールボードをはり、床と天井は木材だった。広さは四畳半ほど。入り口のドアを開け放てば、外には田畑がひろがり、一軒セブンイレブンがポツンと建つ。

サイドに見るのは、片側が花畑と深い杉の森。森は鬱蒼と厚い葉を茂らせている。森には原始の生命力さえ感じる。花畑は、これから栽培にはいるが、菊の花がすでに鮮やかな色の花を咲かせていた。

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反対側は、野菜畑と森。背後も、野菜畑と森。その森は山菜の宝庫。あとは、野生の果実、いまは、桑の実がなっている。

ーーという、環境。

おそらく杉本さんの茶室より、自然だし、多分、居心地は勝るのではないか。

「別荘」に上がり、小さな座卓を囲み、はや、宴会をはじめていた。

そういう性向がわれわれにはある。

風がよく通る。光も満ちる。

頭に「方丈記」という言葉が浮かんだ。

ここにも、偶然の悪戯が作用している。


昨夜、久しぶりにK氏と再会した。K氏は某有料ケーブルテレビ局の重役。

開設時、局の代表のN氏から依頼され、イトウセイコウ、ピーター・バラカンたちと番組審議委員会のメンバーになり、大橋にあったオフィスに月に一度、足を運んだ。そのころ、K氏と会議で会っていた。

それが、20数年前のこと。

昨夜は、『方丈記』の話題になった。

K氏は、最近、Facebookに『方丈記』の現代訳を発表しているという。

酔ったうえでの会話だったので、詳しくは記憶していないが、鴨長明が『方丈記』を書いた時代は、やたら地震、噴火、不況に見舞われ、無常感濃厚に漂う厳しい世だった。

そんな世に鴨長明は、まっとうな生き方はできず、いわゆるドロップアウトなんでしょうね。ミニマリズムな暮らしを提唱した。

スティーブ・ジョブスの開発思想の根底にあったのは、重厚や厳めしさや装飾性を良しと盲信した風潮の逆をいく、禅、そして方丈的なものだったのではないか。

小型、軽量、そしてシンプル。

家屋においては、素の空間。つまり、部屋に家具もない。畳、押入れ。せいぜい床の間。

あれは、ミニマリズムの極致なのではないか。

しかし、K氏と話したのは、そんな話しではなく、鴨長明という人物のことだった。

『方丈記』は隠居思想なのか。

そこに、野良仕事が加わると、むしろ、アグレッシブな印象になる。

ここで、一ヶ月前の沖縄旅行がフラッシュバック!

以下、日誌より、全文転載。



最近、地名を覚えるのが面倒臭くなり、覚えようとしない自分がいる。

当然、そこがどんな土地か検索もしない。

久しぶりに、沖縄に渡った。

旅の共は、現在の新事業のパートナーのTと、その夫人と三歳の女児。

現地では、僕の著書『ドロップアウトのえらいひと』をきっかけに親しくなった「無名会」がいろいろケアしてくれた。

沖縄滞在は三泊四日、ほとんど、幼児の望みを叶える旅で、二日目、「海で泳ぎたい」というので、沖縄を隅々まで知る「無名会事務局長」が、土地の人しか行かないというシークレット・ビーチに案内してくれた。

那覇から高速を北上し、名護にはいったが、その先の地名は覚えていない。

人家のない山間部を抜け小さな入江につくと、まずは、海ぶどうの工場を訪ねた。連なる水槽のなかで、沖縄料理屋で覚えのある海ぶどうが養殖されている。

小部屋で忙しく仕分け、パック詰めの作業をしているのは老婦人三人、接客はおじいさんひとり。見るからに家内制だ。

それに、いかにも島の犬のように気だるそうに地に伏しているが、下手にからかうと噛むおそれのあるという老犬、一匹、放し飼い。

そこで、初めて聞いたのは、海ぶどうは他の海産物と違い冷蔵庫にいれたら死ぬ、ということ。

海水もなく常温で一週間は生きる生き物だ。呼吸しているということか。

白人は海ぶどうをグリーン・キャビアといい、高級品と思っている、こと。そこの海ぶどうは粒が大きい。

試食した。二種。茎付きと茎無し。「茎付きのが、ぜんぜん美味しいですよ」と言われ、食べ比べしたら、茎付きのが破格にうまい。粒を噛み潰す歯ごたえもしっかりしている。

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「でも、店は、茎付きだと見た目が悪いととってくんない。こんなもの持ってくるなと突き返されてしまうんだ」とおじいさんがぼやく。

やはり、日本は見た目の文化なんだな。

高いだけで、味があいまいな懐石料理は、確かに見た目はいい。

時間がとまったような空気に、思考が停止していく。


島民と犬に見送られ、ビーチを目指す。

途中、事務局長が、「ここには大きな鶏がいます。帰りによりましょう」といったところを走り行く車の中から見ると、草叢の陰から鶏舎がのぞく。草叢には花が散りばめられている。

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山を越え、入江の村を走り抜け、ビーチに着く。駐車場からだと、向こうにビーチがあるとは思えない。

建物、看板ひとつない名もないビーチは無人だ。しかも、ロング・ビーチだ。

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すぐ、水着に着替え、海に入る。

まったく汚れのない潮っけさえ感じない海水に身も心も清浄される。

この海の感じは以前、伊豆七島の御蔵島の断崖下の海に入ったときの、あの精気が全身を突き抜けていく快感と同じだ。

三歳児は、まだ、海に入ったことがない。

海を見たこともなかった。

生まれは東京の高輪。だから近くに東京湾があり、その程度の海は見たことがあるだろうが、広大で美しい海は初めてだ。

少し、怯えているようだ。

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大きな波が激しい音をたてて寄せてくる。

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浮き輪をつけた幼児をTと両サイドで支えて、海に入る。

すぐに波がきて、うわーん!と三人宙に浮き上がる。

さらに大波が押し寄せてきて、飛び上がるように浮き上がる。

小さな顔が海水まみれになる。

もう幼児の顔から怯えの表情は消え、嬉々とした顔になる。

初めての海は、幼い魂が初めて宇宙に触れるような体験だろう。

なぜか、頭に、グレイトフルデッドという言葉が浮かび、いくつもの薔薇にかざられたドクロがおどりだした。


そのビーチはどこまでも貝や珊瑚のかけらで埋まっていた。

波が海底から、それらを陸地に運んできていた。

ゴミはひとつも紛れてない。

あまりに人の匂いがしない。

青みさえ帯びた薄曇りの空の下に、海原はブルーに発光していた。

みんなで、貝殻や珊瑚を拾った。


極端だが、まだ、ヒトがこの世には存在していない、そんな太古にタイムトリップし、浜で遊んでいる気分だった。

そこには沖縄という地名さえもなかった。

あとは、あれだ! 『コンタクト』に出てきたビーチ!

死者と出会える場所。

実際に、そのビーチは、島民たちの、そういう秘密の儀式の場なのかもしれない。


帰りに、卵を買うために養鶏場に立ち寄った。

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迎えてくれた方は、土に汚れた白いなんでもないシャツを実にカッコよく着こなしていた。

猪苗代の書記長を髣髴。

野良着なのだろうが、アイランド・ピープルといった風情だ。

まず、人に惹かれた。

スペイン調と琉球調がミックスしたような瀟洒な家屋に案内された。

そのあまりの美しさにショックを覚える。

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中で、夫人が迎えてくれた。夫婦の名は大山。理想の暮らしを求めて、街から山中に移り住み、住むに当たっては、何よりもデザインが重要であるという認識に立ち、このスタイルを選んだ。

取材ではないので、詳しく聞くことはできなかったが、相当なセンスの持ち主であると察しがついた。

団塊の世代。補聴器に関するパイオニアのようだ。リタイア後の人生を、ここで送っている。書記長より3、4歳下だ。

暮らしにはデザインが大事ですと繰り返す。

ART of LIVINIG、それは視覚的なデザインだけでなく、どう生きて行くかのデザインも含む。

その結果が、ここにある。

鶏を育てる。

果実や野菜を育てる。

暮らしに必要なものも、ありきたりの量産品は使わず、ひとつひとつ手作りのような、でも、素朴だけではなく、美しい。

近くに村も、店もない。

文字通り人里離れた地での隠棲。

風と光を浴びるオープン・テラスにはキッチン設備があり、リビング・ルームには高価なオーディオが設備されている。

周囲は深いジャングルだ。

無尽蔵に自然がある。

野生とともに、これほど洗練された暮らしもめずらしい。


自分はいままで、雑誌の仕事で国内外、様々な人の暮らしを取材してきたが、大山さんは特別な気がした。

まったく、偶然、そこを訪ね、目にした暮らし。

やはり、彼らの暮らしが作品のようだ。

テラスの壁にかけられた板に、こんな言葉が、


朝は

東に向かって

合掌する

夕べは

西を仰いで

黙祷する

昼は

ゆっくりと

働いて

夜は

のんびりと

島酒を


「私たちは、こんな風にくらしています」と大山さんは、悟り切った顔で言うのだった。

一時間ほどのお邪魔だったが、また、再訪しようと思った。

「今度、きたら、ゲスト・ルームに泊まってください」

大山家が、どこにあるのかも知らず・・・未来に、さまよいこんだ気分を心身にいっぱい詰め込んで、山を下った。



時空を縫うように、東京をたつときは想像さえしなかった「別荘」に今はいる。

余計、無駄なものを削ぎ落とし、畑にポツンと建っている。

「昨日、『方丈記』の話ししたばかりです。それで、今日、これですから、いったいどうなってんのか?」と、僕は驚きを語る。

「気持ちいいですよ。野良仕事したあと、ここで、床にゴロンと横になって、昼寝するんです」と、夫人。

「カップ麺がうまい!」と書記長。

「そういえば、息子が、サンディエゴからジョン・レノンのギターの写真、送ってきましてね」と、夫人が、その写真を呼び出し見せてくれる。写真には、デビッドと孫娘と、アコースティック・ギターが写っている。

「ロスまで行って、デビッドは、このギター買おうとしたんですけど、買えなかった。最近、オークションで、このギターが一億円で買われたそうです」と夫人。

そんな、話しをしている。

「この小屋は、なんて呼びましょうか?」と、書記長に言われ、即座に、「砂鉄荘がいい」と閃くと、それで決まった。 電気も水道もない。だから、家電もない。キャンプ用の湯沸かしがあるだけ。

で、なぜ、砂鉄なのか。

茶室では、砂鉄について論じるのがふさわしい気がした。会話に鉱物的なネタが入ると、足穂的になる。

「あれは、砂鉄などと呼称しているが、砂でもなく、鉄でもない。第三の物質です!」と、僕は断言する。

猪苗代は、太古には海だった。

ま、世界のどこもかしこも海だった。

中国に黄山、桂林、張界山といった仙境があるのも、何億年前の太古、そこは海底が波に削られ塔が連なるような地勢になり、やがて大地殻変動で地上に出現! といったスペクタクルなドラマがある。そこに、仙人思想が生まれ、隠棲という生き方も生まれた。鉱物は非常に重要だ。それは不老長寿の秘薬であると李白も詩に書いた丹砂であったり。

「わたしは、貝の化石を猪苗代の山の山頂で見た記憶があるんです。そこが、何処か、覚えてない」と夫人。

「つるちゃんに案内してもらうしかないな。道なき道だな。しかし、いまは、猪苗代湖がかつて海だったということを化石の発見をもって証明しなければならない」と書記長は力強くいい、僕も「書記長の姉さんがおっしゃったように、砂鉄は海底に埋蔵されていて、嵐の日に波が運んでくるんだと思います。猪苗代湖の浜に砂鉄が塊であるということは、湖底に埋蔵されている。つまり、ここはやはり海だった!」と推測を語る。

ジョン・レノンのギターや、そんな地球的スペクタクルな話しが、砂鉄荘では自然にでてくる。

それは時空を自在に巡る円盤に思えなくもない。

「砂鉄を選んだのは正解だったかも知れませんね」と、僕は確信する。

目的は砲丸を自作し、砲丸投げ大会開催だが、物事は、よく言われるようにプロセスが重要! つまり、人生と同じだ。

道の途中で、どれだけ熱くなり、めげ、奮闘し、驚愕し、笑い、転倒し、復活し、妄想夢想し、に恵まれるか。

何事もなく、あまり、平坦じゃ、面白くないだろうな、とは言ったものの、書記長夫妻は、あの地震と津波、さらに翌日襲いかかった原発事故で、家、家財、すべてをなくし、まるで、出エジプト記ではないが、流浪の民となり、各地を流れ流れ、しかも、70歳近い歳で、しかも寒さの厳しい東北で、流れ流れ、時に体の自由と記憶をなくしかかり、猪苗代に流れ着き、そして、仮住居と、生業と決めた畑仕事を営むための小さな畑を手に入れる、今年で二年の月日が過ぎ、書記長夫妻は、やっと、畑に小屋を建てた。

そこは、住居ではないが、やっと、心を取り戻した証しに思えた。

世界を見る独自の視点を獲得したように思えた。

悲惨極まる状況から、心が脱出、ボブ・マーリーが歌った『エクソダス』へと至ったのかもしれない。

ジョン・レノンの歌った『イマジン』の心境に至ったのかもしれない。

その小屋が、そのふたつの歌をうたっている。


砂鉄荘を出て、畑を散策した。

露地に咲く花を愛で、今年は豊作だったと夫人が言うアスパラの畑で、生えるアスパラの先を千切り、そのまま食べてみた。

芳醇な味わいが口腔にひろがる。

「次には野菜をとって、砂鉄荘で食べましょう!」と夫人。「そんなお店をやりたかったの」。

「森の奥には、いま、桑苺がたくさん実っていて、つまんで食べると美味しいです。行きましょう」と書記長に誘われ、ふたりで森に向かった。

夫人は茂みにはいり、山菜を採取している。

桑の木を見つけた。

枝に紫になった苺が茂っている。

ちぎって食べる。

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甘い汁が口腔にひろがる。

自然というより、もっと広大な宇宙的システムが、その甘みを創造していることを容易に想像できた。

振り向くと、薄暗い森のこだちの遠く、砂鉄荘が光に浮かびあがっていた。

胸に、桑苺の甘さのしみた熱い想いがこみあげてきた。


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