森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

ぼくが小笠原と今もつづく深い関係になったはじまりは1996年だった。

LONDONとの共同プロジェクトでラバース・ロックのアルバムを制作していた。

シュガー・マイノットがヴォーカリストで参加した。

そのアルバムのCDジャケット、プロモーション・フィルムを制作するために初めて小笠原に渡った。

そのとき、地球上とは想えないアナザー・プラネット的生態系を見て、衝撃をうけた。

コレは、ビデオでなくフィルムに記録すべきだと想いたち、制作プロジェクトを始動した。

『コヤニスカッティ』のような、映像による「アンセール・アダムスのヨセミテ」のような芸術性の高いアンビエント・フィルム制作に夢をはせた。

作品は完成し、島の広場で野外映画会のかたちで上映され、『EDEN』というタイトルでビデオ化(VHS)もされた。

この映像プロジェクトはIRC₂コーポレーションという音楽プロダクションがエクゼクティブ・プロデュースを担い、それによって所属アーティストだった布袋寅泰が音楽面で参加している。

あれから15年たって、小笠原が世界自然遺産に登録され、多くの人の注目をあびる状況下、その映像を復活させることになった。

最初の企画書が手元にのこっていた。

夢を見て、その夢は実現し、いままた甦ることになった。


『EDEN』企画書(1996年)

これは16mmムービーによるドキュメント・プロジェクトである。1996年にスタートして、来世紀の扉を開ける長期的な試みであり、おそらく来世紀になった時、私達自身が、いまなぜ16mmムービーというアナログ・スタイルとEDENというタイトルにしたのか解答に出会うだろう。

8mmムービーがいつしか我々の文明社会から姿を消してしまった様に、16m mムービーも同じ運命にさらされるかも知れない。

あるいは予想もつかぬ出来事が社会や自然に大打撃を与えつづける明日をも知れぬ世紀末においては、EDEN/楽園などというビジョンは単なる絵空事でしかなくなるかも知れない。

だから、我々は先を急ぐ旅の様に、このプロジェクトをスタートさせた。公的機関や企業との提携もなく、第1回記録撮影を既に終え、今年の9月から、その一部をまったく新しい方法で公開してゆく。

第1回ロケーション作品は

邦題 6000万年の律動

と題し、小笠原諸島をロケした。

小笠原諸島は現在、日本の東京都に属するが、25年前まではアメリカ合衆国に属していた。

小笠原諸島は、BONIN ISLANDという英語名を19世紀からもち、その名はいまでも英和辞典にのっている。

むしろ、日本よりも欧米との関係が深く、この諸島が発見されたのは400年前、スペイン艦隊の帆船によってだった。

それ以前は6000万年前の誕生期より無人で、太平洋上の鯨の重要な生態圏であった。

この人類史とはいっさい無縁で6000万年というコズミックな時間を刻んできた楽園が、はじめて人の手におちたのは19世紀の中頃、大英帝国の戦艦が訪れ、此処を女王陛下の領土と宣言した時だった。

小笠原諸島はBONIN(無人という意味)ISLANDとして世界史に登場し、すでにイギリス人2人、アメリカ人2人、イタリア系1人、ポリネシアン20人の開拓団が移住し、社会を築いてゆく。

港が作られ、教会が建ち、家も生まれていった。

やがて、太平洋近代捕鯨の基地として、世界中から船団が訪れる繁栄ぶりとなったが、6000万年前にはじまるジェラシック・アイランドとして奇蹟の歴史は幕を下ろしていった。

それでも、人間における遺伝子の神秘の様に、自然も誕生期からの記憶を奥深くに宿していて、フラッシュ・バックの様に、太古の光景が出現する。

それは6000万年の彼方から1996年に迷い出た現実の姿なのだ。

我々が、このプロジェクトをEDENと名づけたのは、決して、文明社会に生きる者が夢見る熱帯のパラダイス記録でも、キリスト教における概念としての楽園追求でもなく、人類や宗教を超えて、この一太陽系の中、“水の惑星”と我々が呼ぶ地球こそが宇宙のEDENであり、小笠原諸島はその真実をいまも我々に伝えるパワーをひめているからだ。

とずいぶん血気さかんな御託をのべているが、コレはあくまでも制作チームのメンバーへ、自分の想いを伝えようと書いたうちうちの文章だった。

この企画を実現するために制作協力してくれたのがIRC₂コーポレーションという布袋寅泰の音楽制作プロダクションの代表糟谷銑司だった。

彼は同じ年令で、1970年代の中頃からの知己だった。

長渕剛、ボウイ、布袋寅泰のマネージメント、プロデュースを仕事としてきた。彼のいちばん愛する映画は『ロング・グッドバイ』だった。

その糟谷氏の協力を得て、『EDEN』は完成した。

そのへんの事情も、今回のDVD版のライナーノーツとして書かれていて、初めての出会いは35年ほどまえ、布袋寅泰のプロジェクトに呼ばれたりしながら、やがていっしょに小笠原の16mm版映画も制作し、いままたDVD版にもなり、今回のリリースに関し、


「20世紀最后の夢を

21世紀初頭に実現!!

変らぬ友情に

感謝!!」


とその糟谷氏から、メッセージのハガキがそえられているのを読み、マジ、ジーンときた。

こういうことをつみかさねていくと、やがて、グレイトフル・デッドになるんだろうな。

確実に、ぼくたちの間には、リスペクトの感情があり、それが「変わらぬ友情」へと成長したのだとおもう。

ぼくたちは商業主義的フィールドでの“成功”神話を小・中・高・大とまるで学校制度のようにすすんできて、次なる次元へと意識をとばしていった。

そこで手にしたひとつが「変わらぬ友情」だったのだ。

『EDEN』の映像中、ロー・アングルで撮った太平洋の宇宙的サンセットからひびく布袋寅泰のバロック・ギターは涙せずにはいられない。


写真1

写真2

写真3

写真4