森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

西村賢太以降、没頭できる本に恵まれない。以前は、ちょっとでも面白そうに感じたらとりあえず買っておいて、結局読まずに消えてゆくなんてムダを平気でしていたが、もうそんな愚行はしたくない。

本は別にたくさん読む必要もないんじゃないか。本の批評を商売にしていたら、たくさん読まないとやっていけないが、ただ好きで読んでる分だったら、本当に没頭できる本をくりかえし読んでいればそれで満足できるだろう。

人生は再読できないが、本は何度もくりかえし読むことができる。

といっても、そんなに愉悦できる本などざらにある訳ない。

最近、再読してあらためてその面白さを倍増して感じたのは、キース・リチャーズの『LIFE』、ボブ・ディランの『自伝』だ。

初めて読んだときより面白味が増している。不思議だ。特に全620頁の大作だったキース・リチャーズの自伝は数日かけて読んだが、その間中、悦びを感じていた。

キースの歯に衣を着せぬ物言いに拍手喝采だ。

ローリングストーンズの、1972年のアメリカン・ツアーに同行した作家トルーマン・カポーティを、キースは罵倒する。

トルーマン・カポーティのことをみんなトルービイと呼んでいた。


〈このトルービイが楽屋で不平やら泣き言をたれた。むかつくやつで、ノイズのことをブツブツ言ってたんだ。オカマ野郎の言うことなんか、屁とも思わないこともあるが、鼻につくこともある…〉


キースにとっちゃ、有名人はクソッタレの対象だ。『悪魔を憐れむ歌』をレコーディング中のストーンズを劇場用映画として撮ったゴダールのこともキースにかかっては凡庸な中年オヤジも同然。


〈映画化してくれたのは嬉しいが、あのときのゴダールときたら!信じられなかったぜ。フランスの銀行員みたいななりなんだ。いったいどこへ行くつもりだったんだ?〉


この映画はイギリスでは『ワン・プラス・ワン』という題名で公開された。フランスでは『シンパシー・フォー・デヴィル』だった。

ワン・プラス・ワンとはワン=ストーンズ、ワン=ゴダールという意味か。

2009年に、この題名を引用して、単行本を制作した。自分はワン・プラス・ワンを“相棒”と解釈し、歴史上の人物たちから自分の身近の人物たちを視野に、相棒関係にある2人組について書いた。

例えば、自分の事。クラブ・シャングリラの相方のミックこと立川直樹は早や40年を越すブラザーで、われわれはワン・プラス・ワンとなって活動した。

例えば、カストロ+ゲバラ、J・レノン+P・マッカートニー、M・ジャガー+K・リチャーズ、ハーレー・ダビッドソン、ノースフェイス、クイックシルバー、クロムハーツといったブランドもふたり組が起業した。人類初の月面着陸もふたりの飛行士の偉業だった。

と見ていくと、別にサクセス・ストーリーではないが、ある世界観、人生観、野心らで人と人が結ばれワン・プラス・ワンになったとき、彼らなりの道を歩むことになるとわかった。

人はひとりでは何もできない。余りに組織的すぎると呑みこまれてしまう。人は組織をつくるが、組織は人を作らないからだ。

そんなワン・プラス・ワンの実例を32組とりあげて本にした。

そのカバーはプレスリー!

しかもふたりのプレスリー!

なぜ?ワン・プラス・ワンなのに?


エルヴィス・プレスリー

神と悪魔になれる。


KING of ROCK’N ROLL、エルヴィス・プレスリーはこの世で絶対無二を象徴する存在だった。そのエルヴィスがいなければ、ジョン・レノンもボブ・ディランも、ボノもいなかった。ロックの歴史も築かれなかった。

プレスリーの中に、ONE +ONEの神話を発見したのはアンディ・ウォーホルだ。ウォーホルはプレスリーのポートレイトを制作した。それは「ダブル・イメージ」と題されるカウボーイ姿のプレスリーがふたり重なるように立っている。

プレスリー+プレスリー。

プレスリーはふたりいたのだ。

KING of ROCK’N ROLLとなったアーロン・エルヴィス・プレスリーと、もうひとりジェシー・ギャロン・プレスリー。ふたりは双子だった。1935年1月8日、ふたりのプレスリーは誕生した。先に生まれたのはギャロンだった。しかし、彼は生を享けることなく亡くなった。生を享けたのは、エルヴィスだった。

母の胎内でふたりは相棒だった。教会にかよう母の胎内で、ふたりはゴスペルを聴いていた。だから、3歳の時にエルヴィスはゴスペルを歌えるようになっていた。

もし、ギャロンが生きていたら、3歳の時にふたりでゴスペルを歌っていただろう。その後も、ギャロン・プレスリーとエルヴィス・プレスリーはデュエットしつづけたかもしれない。

そんなのはただの憶測にすぎないと、人は言うだろう。

だけど、多くの人が言うように生前のエルヴィスは極度な“二重人格”だった。誰か別の人間がエルヴィスの中にいるのではないかと想えるくらい。

エルヴィスは母の胎内で一緒に時をすごしたギャロンのことを想いつづけていたと言われる。

その想いがエルヴィス・プレスリーという世紀のスーパースターをつくりだした。

ELVISという名前には、アルファベットの並びを変えると、

LIVES/生きる、生命、即ち神

EVILS/悪、悪魔

ふたつの意味と存在がかくされていた。

(以上『ONE PLUS ONE』より)

写真1

写真2

写真3
このアナログテープレコーダーでインタビューして、本をつくった。だからこいつは、ぼくの相棒。

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