森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

撮影時に、李は一度しかシャッターをきらない。

一刀斎のような、李にとって、撮影は武芸だ!

名づけて、一刀撮李!

普通、日本人のプロ・カメラマンなら、「なんでそんなに!?」とあきれるほどシャッターをきる。

当時写真は感光フィルムだったので、フィルム代、現像代が高くついた。

カメラマンからしてみれば、たくさんフィルムを使うのが熱心に仕事をしている証しとなるのだろうが、はたから見てると、資源のムダ遣いとしか思えない。

特にモーター・ドライブという自動的に連続してシャッターをきれるシステムがあるが、スポーツや野生動物、戦争などを目にも留まらぬモーションを撮るには必要だろうが、人物や風景、挙句に動かぬモノまでモーター・ドライブで撮るのを見たとき、空怖ろしい不毛感に襲われた。

李は、中国で、何度もそんな日本人の不毛を見て、腹の中で嘲笑し、よほど腕に自信があるのだろう、「一枚あればいいんです」と一枚しか撮らない。

だから、特集コンテンツを制作するのに、日本人だと35ミリ36枚撮りを50~100本使うところを、李だと5、6本ですんでしまう。

撮影も早く、しかも写真のクォリティーは呂厚民というニューヨーク近代美術館でも展覧会を開催する国際派写真家の弟子だけあって品格を感じさせる。

いわゆる商業カメラマンではなく芸術家なのだ。出会ったときに李はすでに国際的な賞も受賞していた。

仕事の仕方も独特で、例えば一週間のロケの場合、半分は遊んでる。写真を撮らない。宴会している。おい、おい、こんな調子で大丈夫か? と、こっちは不安になる。最後の二日間、「行きましょう」とでかけていって、素早くカメラマンにおさめ、「おわりました」。

なんていう調子だ。

その場に臨んで、一瞬で的を射る!

李はぼく以外の編集者との仕事は苦手だったようだ。最終的に使いもしないのに、みんなアレもコレも「撮れ、撮れ」とうるさい。あの小黒と長江へ行ったときも、そんな感じだったので、同行した伊集院静が同情し、「李は撮ってるよ」とかばったそうだ。

「森永さんが、一番、やりやすい」

というようになった。

それでも李の仕事は、他でふえていった。


ぼくは誌面を構成するのが仕事であって、李のセンスと責任感には絶大な信頼を寄せていたので、撮影には何もいわない。


思うに、李にとって写真は書の一瞬の筆さばきと同じ、それは一瞬の気をこめた指さばきだったのだろう。


次の大作ものが決まった。

『中国電影旅行』

試しに、立川直樹が音楽監督を務めたチャン・イーモウ『紅燈』のロケ地の太原に。立川氏が再訪し、執筆。ぼくはチェン・カイコー『人生は琴の弦のように』のロケ地の黄河上流へ、李と。

映画のシーンを再現するようなシーンを撮った。

この企画が好評だったので、大型企画として、特集を組むことになった。


2000年代は、中国映画が世界的にも高い評価をうけ、新しい世代が活躍しはじめていた。

十数年前、全土をいっしょに旅した修健も役者からプロデューサー業に転業し、巨匠チャン・イーモウ監督、高倉健主演『単騎、千里を走る』を制作していた。

その映画を見て、地方劇団の役者を演じる男優に惹かれた。

修に会い、ロケ地が何処か聞いた。魅力的な脇役の居場所も聞いた。本業は役者ではなく農民と知る。名は李加民。

ドラマの中心をなす仮面劇は貴州にのこっていた。健さんが李加民を探す町は、雲南省の麗江。この町から210キロはなれた山中に、伝説のシャングリラがある。

麗江は京都のような仏教系古都。いまも盆地に一万の古民家が残り世界遺産に登録されている。住民の多くは映画にもでてきたナシ族。他にもタイ系、チベット系の少数民族が13。

映画ではナシ族の男が健さんをガイドする。偶然麗江で、そのガイド役の男と出会った。役者ではなく、本物のガイドだった。健さん以外、出演してる中国人は役者ではなく民間人かもしれない。


肝心の李加民は雲南省の農村に暮らしていた。訪ねて、いろいろ話しを聞くと、もう2度と「映画なんかでたくない」とぼやく。畑仕事や舞台に立つ農村劇の方が性にあっているようだ。畑仕事も舞台もやり直しがきかないのに、映画では何度も演技をやらされる。「そんなの、おかしい」。


ジェット・リー主演の『少林寺』も選んだ。少林寺という寺は河南省にいまもある。1500年ほど前に建立、中国仏教禅宗の祖でもある。つまり、拳法と禅の聖地だ。以下、旅行記より抜粋。


〈登封に少林寺武術の名門専修院を訪ねた。少林寺直系の武術家・梁以全が創立者で、氏は1994年には国際武術大会で金メダルを獲得している。

少林寺の町・登封はいまでも山中に野生の狼が棲息していると地元の顔役から聞いた。

多分、少林寺の真髄は人間に秘められた野生力を最大限引き出す、そのために禅と武術が合体を遂げたのでは、聖地を訪ねて腑におちた。

漢文明の発達した地を、中原という。世界の中心にあって、中華。その中がここだという説もあり、古代太陽時計もここにあった。

町中には武具店が建ち並び、ブルース・リーのあらゆるソフトが売られている。

武術学院は小・中・高の全寮制。およそ80の学院があり、生徒数2万を誇るマンモス校もある。外国からの留学生も多く、一番はドイツ、次はフランス。

卒業生はその鍛え抜かれた武術力を買われて、軍の特殊部隊、政財界要人のボディーガード、師範、といくらでも仕事はある。

映画/虚構の向こうに、すさまじいリアル・ワールドが広がっているのを見て、またひとつ世界観がひらかれた。


一夜、野生の狼がいまも棲息するという山の麓の山荘で、地元の人の話を聞いた。


「いまわたしは53歳です。子供のころは毎日サソリを捕っていた。3匹も捕れば、大人の月給分の金になりました。少林寺の武術家はサソリを唐揚げにして毎日食べます。サソリは力がつきます」これは、いまの話だ。〉


それから景徳鎮の近くの村を訪ねた。ここは映画『故郷の香り』のロケ地。村に見る住居は馬頭壁といわれる南方スタイル。城塞に見える。窓は極端に小さい。

監督は『山の郵便配達』を撮ったフォ・ジェンティ。日本人の香川照之も出演している。

住居はどの家も古風なのだが、一番驚いたのは水瓶。千年ものだ。両サイドに竹筒が真っ直ぐ立っている。先端は屋根に。雨水は、その竹筒で下に落ち、半分に割った竹筒で瓶にはこばれる。その美しい趣きを持つ原始的な貯水装置はいまにあっては贅沢に感じる。


電影旅行の最後は、ヌーベル・ヴァーグ調現代劇『ふたりの人形』の舞台となった上海の蘇州沿い。この作品は中国国内では問題作として公開されなかった。

中国の現代女性が主人公。彼女とイメージがかさなる女性が、蘇州河ソーホーで働いていた。彼女はパリが本社のアパレルの社員。モデルとして出演してもらった。そして、有名な外白灘橋を渡る一女性を偶然撮った。それはリアルに映画的だった。


これは2006年7月号『翼の王国』の特集だった。使用する書体はついつい古風な明朝体になってしまうところを、あえて今風のフォントにした。


しかし、この旅で一番の驚きはやはり少林寺の聖地だった。

禅と武術。

禅の哲学に傾倒したジョブスがIBMに対し「帝国に戦いを挑もう」と宣言したのは、彼自身に自覚があったとは思えないが、禅寺から生まれてきた武術が宿す闘争心をうけていたのかもしれない。

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