森永博志のオフィシャルサイト

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プロフィール★森永博志 (もりなが ひろし)

彼は湘南の出身で、いっとき暴走族のアタマをやっていたらしい。今は、写真家だ。女性をよく撮っているというが、作品はほとんど見たことがない。

彼とは、中目黒というか大橋というか、そっち方面に本店があるバーガー・ショップ〈GOLDEN BROWN〉で初めて会った。夜更けていて、店には不良じみた連中しかいなかった。

店主のNが、彼を紹介してくれたが、そのとき彼は僕のことを知っていて、自著『やるだけやっちまえ』を読んでいますといった。

写真家なのに、業界的愛想が微塵もない硬派な印象をうけた。ジッと向かいあい、言葉なく、察し合うような、重量感のあるキャラクターを感じた。といっても、彼はデブじゃない。鋭い光の中に、すこし投げやりな影を映す眼が組み込まれた肉体はハードコアな印象をうけた。

芸術家もかつてはそうだったが、写真家もマジメなタイプじゃ大したことないが(とは一概にいえないが)、彼は、確実に社会的規範を逸脱している印象をうけた。ただ深く酔っていただけなのかも知れないが。

2度目に会ったのも、〈GB〉本店だった。お互い認め、言葉なくアイサツした。彼は女性といっしょだったし、僕は盟友といっしょで、各々、会話すべき相手がいたのだった。

それでもふたつの席はまじりあい、1時間程なごやかなときをすごし、彼が先に帰るとき、僕の傍らに来て、こう言うのだった。

「俺、精神的にどん底のとき、森永さんの『やるだけやっちまえ』読んで、やる気になったんですよ」

と言い、連れの彼女に、「なっ!」と同意を求めるかのように言うと、彼女は、「いつもその話、聞かされてます」と優しさに満ちた声で応えるのだった。

『やるだけやっちまえ』は、1999年に刊行した。イントロダクションに、そのときのすべての想いを込めた。

いまはそんな過剰な価値観は通用しない世間になってしまったけど、20世紀は、人類が2つの世界大戦や幾多の戦争・内乱・革命を経験しながらも、魂を解放することのできた、自由な世紀だったと思う。

何をやってもいいんだ。それによって背負うリスクもある。でも、何をやってもいいんだ。という時代に、東京の街の片隅に、現実などまったく気にせず自由に生きている少数民族のようなCREAMSODAの代表・山崎眞行氏の人生を中心に、『やるだけやっちまえ』を書いた。

今は、こんなタイトルに見る無鉄砲な価値観は時代遅れなのかも知れないが、彼の心の中にその火は消えずに燃えている気がした。

また、そういう気分に人はなるんだよ。

きっと。

やるだけやっちまったところで、そこで“結果”に恵まれるわけじゃないんだけどね。

人類というものが、文明への道の第一歩を踏みだすとき、そんな激しい衝動のような感情があったのではないか、そんな気がする。

捨て身だったんだな、ヒトは。

そこでつかんだものを、文明といってるんだな。

きっと。

『やるだけやっちまえ』のイントロダクションの文章は、そっくりそのまま引用されてTシャツになった。

それはストリート版ロゼッタストーンのようだった!

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